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1969年のテレビ(1969ねんのテレビ)では、1969年(昭和44年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。 == できごと == * TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から7年連続)。 * NET(日本教育テレビ、現・テレビ朝日)が同じくこの年の年間視聴率で、全日帯(6~24時)において在京民放局で首位となる(以後、1971年まで3年連続)。〔NHKを含めた場合は、NHKが全日帯で首位であった。なお、NHKの全日帯首位は1963年から1986年まで24年間続いた。〕 * NHKのテレビ受信契約数が21,880,000件に達し、普及率が90%を突破〔NHKアーカイブスカタログ、1965-1969年〕。 ; 1月 * 5日 - NHK大河ドラマ初のカラー作品『天と地と』がこの日放送開始、1年間にわたり放送。 * 9日 - NET系のクイズ番組『クイズタイムショック』が放送開始( - 1986年3月27日)。初代司会は俳優の田宮二郎。 ; 3月 * 2日 - フジテレビ系で開局10周年記念番組として、『世紀のゴールデンショー』を放送。その後同年12月31日に年末特番『世紀の祭典』として放送、翌1970年からは『世紀の祭典』は毎年3月の放送となり、1976年まで継続、1978年から始まる期首特番『オールスター春秋の祭典スペシャル』につながる。 * 15日 - NHK佐賀放送局、NHKでは初となるUHF(アナログ)県域テレビジョン本放送開始。 * 22日 - NHK高松放送局、香川県を対象エリアとするUHF県域テレビジョン本放送開始。 * 27日 - TBS系の児童向けドラマ『チャコとケンちゃん』(第1作)が、この日終了。主演の四方晴美はこれを以て、1962年開始の『パパの育児手帳』から続いた『チャコちゃんシリーズ』から降板し、同シリーズも終了。代わって前作『チャコねえちゃん』から出演した宮脇康之(現:健)が主役となり、シリーズ名称も『ケンちゃんシリーズ』と改名する。 ; 4月 * 1日 * 中京ユー・エッチ・エフテレビ放送(現・中京テレビ放送)、瀬戸内海放送、福岡放送などUHF(アナログ)を親局とする民放テレビ局が各地に開局。これまでラジオ単営だった近畿放送(現・京都放送)がラ・テ兼営局となる。 * フジテレビ系で、平日の帯番組の改革が行われた。 * 平日14時枠に放送されている日替わりバラエティ番組『タワーバラエティ』が、この日開始の『勝抜きスピードクイズ』より帯体制に変更。これに伴い、それまで同番組火曜放送の『キンカン素人民謡名人戦』は、5日より土曜14時枠に独立移動し、1982年9月まで続ける。 * 平日21時台に放送されていた『スター千一夜』と『お茶の間寄席』(第1期)が、この日19時台(前者は19:30、後者は19:45)に移動、同時に土曜日も放送開始する〔『スタ千』は厳密には土曜放送再開。〕。以後1981年9月までフジテレビの19時30分台は「『スタ千』+α」の帯体制になる。 * 4日 * NHK総合で1964年4月から放送していた人形劇『ひょっこりひょうたん島』が、この日を以て5年間の幕を降ろす。 * NET系で赤塚不二夫原作のギャグアニメ『もーれつア太郎』(東映動画制作)が放送開始。当初はモノクロ作品だったが、途中でカラー作品に切り替わった( - 1970年12月25日)。 * 6日 * フジテレビ系のテレビアニメ『どろろ→どろろと百鬼丸』が開始。提供はカルピス(一社提供)で、半年後に開始する『カルピスまんが劇場』につながる。 * フジテレビ系にて京唄子・鳳啓助司会のトーク番組『唄子・啓助のおもろい夫婦』が開始( - 1985年3月)。 * 9日 - NHK総合でこの日、『みんなの招待席』にて行われていたゲームを独立させたクイズゲーム番組『連想ゲーム』を放送開始( - 1991年3月)。 * 27日 - 日本テレビ系にて、コント55号司会の公開バラエティ番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』が放送開始。野球拳の企画で人気を集めるが、全国のPTAから「低俗番組」とバッシングを浴びせられ、11月9日を以て「野球拳」は廃止、番組自体も1970年3月29日で終了した。なお「野球拳」は、11月26日より同局で『コント55号の野球ケン!!』として分離独立したが、1970年4月1日で終了した。 ; 5月 * 1日 - サンテレビジョンが開局。 * 5日 - 中部日本放送(CBC)の本社ビル「CBC会館」(名古屋市中区新栄)にて火災。この火災により中京エリアにて一時的に放送中断。 ; 6月 * 22日 - TBS系にて、梶原一騎原作のスポ根ドラマ『柔道一直線』(桜木健一主演)が放送開始( - 1971年4月4日)。 * 30日 - TBS系平日正午枠にて、視聴者参加型クイズ番組『ベルトクイズQ&Q』が放送開始。初代司会は増田貴光が務めたが、後に椎名勝巳→押阪忍に交代、1980年2月29日まで10年弱続いた。 ; 7月 * 2日 - これまで日本テレビ系独占放送だった日本プロレス中継が、NET系でも『NETワールドプロレスリング』のタイトルで放送開始。NET系における日本プロレス中継は1973年3月30日まで継続。 * 3日 - 毎日放送制作のバラエティ番組『ヤングおー!おー!』が放送開始。吉本興業所属の若手お笑い芸人が多数出演、大阪を本拠とする吉本の全国進出の基礎を築くきっかけとなった( - 1982年)。 * 6日 - NET系の音楽番組『題名のない音楽会』が9カ月ぶりに放送再開(2015年現在も継続)。初代司会の黛敏郎は1997年に逝去するまで務めた。 * 21日 - アポロ11号による人類初の月面着陸をNHK・民放各局で衛星生中継。 ; 8月 * 2日 - NHKで夏恒例の音楽特番『第1回思い出のメロディー』放送(以後、毎年8月に実施)。 * 4日 - TBS系ナショナル劇場枠にて時代劇『水戸黄門』が放送開始。初代水戸光圀役は東野英治郎が演じた( - 2011年12月まで、全43部にわたって放送)。 ; 10月 * 1日 * フジネットワーク(FNS)発足。加盟21社。 * 秋田テレビと福井テレビが開局(福井テレビは20年後の同じ日にはCIも導入し、局ロゴも一新)。 * フジテレビ系月〜木曜19時枠に日替わりバラエティ番組『夜のゴールデンショー』を設置、月〜木の19時台が帯体制になる。だが『夜のゴールデンショー』は半年後の1970年3月31日で終了。なお同日には『スター千一夜』が19:45に移動し、『お茶の間寄席』(第1期)の後継『3000万円クイズ』が19:30でスタート、以後1981年9月に『スタ千』が終了まで、19:30はクイズ番組、19:45は『スタ千』の体制となる。 * 2日 * よみうりテレビ・日本テレビ系で梶原一騎原作・辻なおき作画の漫画が原作のプロレスアニメ『タイガーマスク』(東映動画制作)が放送開始( - 1971年9月30日)。 * 4日 * TBS系でザ・ドリフターズの公開生バラエティ番組『8時だョ!全員集合』が放送開始( - 1985年9月28日)。 * 日本テレビ系で『なんでもやりまショー』を開始、このワンコーナー『どっきりカメラ』が人気となる。 * 5日 * フジテレビ系でこの日、日曜18〜19時台で3本のテレビアニメが放送開始された。 * 18時から、タツノコプロ制作のファンタジーギャグアニメ『ハクション大魔王』が放送開始( - 1970年9月27日)。 * 18時30分枠では、長谷川町子原作のホームアニメ『サザエさん』が放送開始。2015年現在も継続中の日本のテレビアニメ最長寿番組。 * 19時30分より『カルピスまんが劇場(→世界名作劇場)』の第1作『ムーミン』(第1作)が開始。 * TBS系のスポーツドラマ『サインはV』が開始。 * 6日 - 日本テレビ系の歌謡番組『NTV紅白歌のベストテン』が放送開始( - 1981年3月23日)。白組キャプテンは堺正章、紅組初代キャプテンは水前寺清子。 * 7日 - 日本テレビ系のバラエティ番組『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』が放送開始。 * 9日 - 読売新聞社元社主で、日本テレビの創業者だった正力松太郎が逝去(享年84)。 * 11日 - 日本テレビの粉飾決算がこの日、大蔵省(当時)の指摘により発覚。 ; 11月 * 9日 - 日本テレビ系の演芸番組『笑点』、初代の立川談志に代わる2代目司会者として前田武彦が登場( - 1970年11月)。同時にテーマ曲も放送開始時から使用していた『笑点音頭』から中村八大作曲によるテーマ曲に変更(2015年現在も継続して使用)〔ただし、当初は前田自ら作詞して歌詞をつけたバージョンも存在していた。〕。 ; 12月 * 日本経済新聞社が東京12チャンネルプロダクション(現・テレビ東京)の経営に参加。 * 1日 - 青森テレビ、テレビ岩手、三重テレビのUHF3局が開局。 * 7日 - フジテレビ系日曜19時台前半枠にて、浦野千賀子原作のスポ根アニメ『アタックNo.1』が放送開始( - 1971年11月28日)。以降、同局の日曜19時台前半枠は『こちら葛飾区亀有公園前派出所』まで35年間旭通信社→アサツー ディ・ケイが広告代理店を勤めるアニメ枠〔1971年12月 - 1972年11月放送の『ミラーマン』のみ特撮番組だが、この作品も旭通信社が代理店を務めた。〕が続いた。 * 10日 - 愛媛放送(現・テレビ愛媛)が開局。 * 31日 *『第11回日本レコード大賞』の模様をTBSが生中継。大賞は佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』。この年から第26回までの16年間、帝国劇場で開催され、第47回(2005年)までの37年間、日本レコード大賞は大晦日に行われた。また、司会は元NHKアナウンサー高橋圭三が務め、彼は第25回(1983年)までの15年間レコ大の顔として親しまれてきた。 *『第20回NHK紅白歌合戦』放送。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「1969年のテレビ (日本)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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